法・政治学科                           S61・3卒

  斉藤理(おさむ)
(神奈川県川崎市)
「駒大ブロデュース研究会」 を振り返って
 「先輩!営友会の会報に原稿を書いて下さい。駒大で一年後輩の営友会幹事でもある

人から電話があった。彼と私は、「駒澤大学ブロデュース研究会」を設立したときの中

心メンバーだ。私が会長、当時経営学を専攻していた彼が会計担当になった。

 東京六大学に落ちた挫折感か、昭和58年当時の駒大キャンパスには、無気カ感が漂

っていた。「このまま四年間何もしなければ駄目になる!駒大キャンバス文化を創造し

、駒大を盛り上げよう!」を基本コンセプトに“駒澤大学プロデュース研究会”は、7

人の学生でスタートした。しかし、メンバーのほとんどが地方から東京ヘ出てきた貧乏

学生(当時メンバーは、一年生と二年生だけだった)。1K風呂なしのアバート代を払

うのがやっとの状況である。

 初めてのイベントが当時「夏色のナンシー」で人気が急上昇のアイドル“早見優”、

松村君(現在、某大手印刷会社勤務)のコピーで、「優等生集まれ!!早見優コンサー

ト」に決定。出演料(ギャラ)150万円を支払っため、血まなこの宜伝・営業活動が

続いた。日本テレピ「ズームイン朝」に手作リの看板を持って行って宣伝したリ、原宿

の歩行者天国ヘチケットを売りに行ったり、早稲田大学や専修大学の学園祭会場ヘ行っ

て“ガリバン印刷のチラシ”を配ったりもした。「ギャラが払えなければ、皆で地下鉄

工事のアるバイトに行こう。皆んな最後の覚悟もできた。

 地道な宣伝・営業活動が実を結び、イベント直前の十月末、チケットが爆発的に売れ

はじめた。何とか出演料を払うことができた。「ズームイン朝」の効果もあり、当日も

遠く名古屋からのお客さんまで来ていただき、何とか初めてのコンサートを開くことが

できた。

 当時、TBS ザ・ベストテンの上位にランクされた”なぎさのライオン”のイント

ロにあわせて駒大記念講堂の幕が開いた。会場は拍手の渦。「先輩!やりました。」彼

とステージの脇でガッツポーズをとってしまった。

 テレピ局ヘ企画を持って行ったり、講演会を開いたり、このプロ研の活動を通じて、

皆、社会のルールを知らず知らずのうちに学んだ気がする。

 現在、テレビ局、広告代理店、レコード会社、出版社、メーカー、流通、スチュワー

デス、アナウンサー、マーケター等、駒大プロ研のOB・OGは、今、自分たちの夢に

向かって様々な職場で、家庭で頑張っている。やはり皆その根底にあるものは、中畑ス

ピリッツ(オレが盛リ上げてやろうという気持ち)だと思う。

 私は、法学部出身であるが、是非次回の営友会には参加したいと思う。駒大OB・O

Gの皆さんとゆっくりお話をしてみたいと思う。